投稿日: 2012年12月1日 作成者: product1125
ボルトの錆が酷くて、折れるし・・
写真を見たとおり、まだ、分解できず、どうしましょう。
分解できないところをそのままにしてもボルトが折れているのは、1本や2本じゃないんですよ。
このまま、分解したまま、きれいにしてとりあえず保管かなあ。
愛知県東海市浅山に作業所があり、1910から1950年代位までの海外の小さな船外機を収集・整備をしております。また、小さな船外機の修理もしています。 「SMALL OUTBOARD」の看板が目印です。
2020年6月4日木曜日
2台目ロビン2サイクル空冷2馬力船外機分解
投稿日: 2012年11月19日 作成者: product1125
今回は、カウルなしのロビンを入手しました。
初期の日本船外機に多いのですが、ボルト類の腐食が著しいです。
今回のロビンも同様でした。
このエンジンは、ラッカー塗料による再塗装がされていました。
ボルトが腐食して、分解中に折れたりしました。
泥が付いていて、長い年月放置されていたので、簡単に落ちません。
本日は、分解途中、洗浄途中で終了しました。
今回は、カウルなしのロビンを入手しました。
初期の日本船外機に多いのですが、ボルト類の腐食が著しいです。
今回のロビンも同様でした。
このエンジンは、ラッカー塗料による再塗装がされていました。
ボルトが腐食して、分解中に折れたりしました。
泥が付いていて、長い年月放置されていたので、簡単に落ちません。
本日は、分解途中、洗浄途中で終了しました。
ロビン2サイクル空冷2馬力船外機 電気系統確
投稿日: 2012年11月13日 作成者: product1125
スパークしないので一応分解しつつ確認です。
出品者からは、コイルの不良とありました。
コイルの抵抗値が1Mはいきませんでしたが、かなり高いです。断線ではありません。
コンデンサは、すぐ23M位まで上がりましたので、まあまあでしょう。
ネジが小さいので苦労します。
このエンジン、2馬力とありますが、ちと、無理だと思います。
1.5HP位かなあ。
使っていないため、錆びもチラホラあります。
スパークしないので一応分解しつつ確認です。
出品者からは、コイルの不良とありました。
コイルの抵抗値が1Mはいきませんでしたが、かなり高いです。断線ではありません。
コンデンサは、すぐ23M位まで上がりましたので、まあまあでしょう。
ネジが小さいので苦労します。
このエンジン、2馬力とありますが、ちと、無理だと思います。
1.5HP位かなあ。
使っていないため、錆びもチラホラあります。
ロビン2サイクル空冷2馬力船外機 の全容
投稿日: 2012年11月13日 作成者: product1125
ロビン船外機の製造会社名は、富士小松ロビン株です。
その1でロビンエンジンの変遷を書きました。
製造年月は刻印も無く表示がありませんでした。
しかし、次の言葉からおよその年がわかりました。
「実は、一時期だが翌昭和42年に「小松製作所(株)」と業務提携していた時期があり、短い期間だったが社名が「富士小松ロビン(株)」になっていたのである。
それが保ったのも昭和45年までと3年も満たない期間であったみたいだけど・・・。」
1968年から1970年の間に製造されたエンジンです。
最初にスタータを引いたのですが、プロペラが回りません。
小さなエンジンですから、まさか遠心クラッチがあるとは思ってみません。
いつもの習性で分解してみたら、遠心クラッチです。
スパークしないと聞いていたので、今回調査しません。
とにかく、キズ、擦れ一つ無いのですよ。
ロビン船外機の製造会社名は、富士小松ロビン株です。
その1でロビンエンジンの変遷を書きました。
製造年月は刻印も無く表示がありませんでした。
しかし、次の言葉からおよその年がわかりました。
「実は、一時期だが翌昭和42年に「小松製作所(株)」と業務提携していた時期があり、短い期間だったが社名が「富士小松ロビン(株)」になっていたのである。
それが保ったのも昭和45年までと3年も満たない期間であったみたいだけど・・・。」
1968年から1970年の間に製造されたエンジンです。
最初にスタータを引いたのですが、プロペラが回りません。
小さなエンジンですから、まさか遠心クラッチがあるとは思ってみません。
いつもの習性で分解してみたら、遠心クラッチです。
スパークしないと聞いていたので、今回調査しません。
とにかく、キズ、擦れ一つ無いのですよ。
ロビンとは
投稿日: 2012年11月13日 作成者: product1125
ロビンの名前が付いた会社名は、2007年にもう消えてしまいました。
ロビンの歴史を書いたブログを見つけたのでご紹介させていただきます。
富士重工ブランドとして、また消える部門が出てきたのがこの「富士ロビン」
昭和18年に出来た、中島飛行機三島製作所(現沼津製作所)が富士ロビンの旧名。
ことの始まりは、まだ富士産業(株)時代であった昭和21年に、大宮工場で船外機用エンジンを手がけたのがきっかけ。
その後、昭和23年にこのロビンブランドを作り、翌24年に当時の4サイクルラビットのエンジンを手がけていた三鷹製作所がエンジンを転用して命名したのがロビンエンジンのルーツである。
それを改良し、昭和26年に大宮製作所で量産型を生産しのが一号機とも言える。
当時の仕様は空冷4サイクル540cc、10馬力、V型2気筒エンジン。
その間、昭和25年に社名を富士機械工業とし、さらにその後昭和32年に富士発動機と改名。
さらにその後、昭和41年に富士ロビンになった。
実は、一時期だが翌昭和42年に「小松製作所(株)」と業務提携していた時期があり、短い期間だったが社名が「富士小松ロビン(株)」になっていたのである。
それが保ったのも昭和45年までと3年も満たない期間であったみたいだけど・・・。
提携解消後、「富士ロビン」になったのでありますが、今回の件で少なくとも「富士」は取れそうです。
マキタと富士ロビン、双方が合意の上でTOBしたのですが、富士重工としては今まで通り技術提携はしていくらしいです。
ロビンマーク
(1956年5月採用、1960年7月商標登録)「ロビン」は汎用エンジンに付けられた名前です。ロビンのマークは、誰からも親しまれている、かわいらしくて働き者の駒鳥をデザインしたものです。
さらに補足して詳しく書くと、「日本国中どこでも見られ、小さいながらもこまめに働き、タフで力いっぱいの仕事をする駒鳥のようにありたい」と言うのが、本来の命名理由である。
実は2代目のマークだったと言う事は知っていましたでしょうか???
初代マークはカタカナで「ロビン」と書いており、その周りを駒鳥をかたどった菱形図形で囲ったものでした。
また、この初代マークの頃は、現在のロビンエンジンのイメージカラーである黄色ではなく、小豆色でした。
subaru360が発表されるもっと前の昭和31年・1956年からで、ここでようやくお馴染みの「黄色いロビンエンジン」の活躍が始まったのでありました。
今から51年も前の事だから知らなくても当たり前か???
ラビットスクーター用エンジンを汎用化したのが始まり。空冷ガソリンエンジンを得意とし、国内の小型建設機械向けには圧倒的なシェアを持ち、100万台以上の生産台数を誇る。かつてはロビンエンジン搭載の農業用耕耘機の生産も行っていたが、子会社の富士ロビンに営業譲渡後は、次第に販売台数は減少している(その後マキタの子会社となり、2007年8月1日付をもって「富士ロビン」は「マキタ沼津」に社名変更となった)。
ロビン専門の修理屋さんもまだ、たくさんあります。
ロビンの名前が付いた会社名は、2007年にもう消えてしまいました。
ロビンの歴史を書いたブログを見つけたのでご紹介させていただきます。
富士重工ブランドとして、また消える部門が出てきたのがこの「富士ロビン」
昭和18年に出来た、中島飛行機三島製作所(現沼津製作所)が富士ロビンの旧名。
ことの始まりは、まだ富士産業(株)時代であった昭和21年に、大宮工場で船外機用エンジンを手がけたのがきっかけ。
その後、昭和23年にこのロビンブランドを作り、翌24年に当時の4サイクルラビットのエンジンを手がけていた三鷹製作所がエンジンを転用して命名したのがロビンエンジンのルーツである。
それを改良し、昭和26年に大宮製作所で量産型を生産しのが一号機とも言える。
当時の仕様は空冷4サイクル540cc、10馬力、V型2気筒エンジン。
その間、昭和25年に社名を富士機械工業とし、さらにその後昭和32年に富士発動機と改名。
さらにその後、昭和41年に富士ロビンになった。
実は、一時期だが翌昭和42年に「小松製作所(株)」と業務提携していた時期があり、短い期間だったが社名が「富士小松ロビン(株)」になっていたのである。
それが保ったのも昭和45年までと3年も満たない期間であったみたいだけど・・・。
提携解消後、「富士ロビン」になったのでありますが、今回の件で少なくとも「富士」は取れそうです。
マキタと富士ロビン、双方が合意の上でTOBしたのですが、富士重工としては今まで通り技術提携はしていくらしいです。
ロビンマーク
(1956年5月採用、1960年7月商標登録)「ロビン」は汎用エンジンに付けられた名前です。ロビンのマークは、誰からも親しまれている、かわいらしくて働き者の駒鳥をデザインしたものです。
さらに補足して詳しく書くと、「日本国中どこでも見られ、小さいながらもこまめに働き、タフで力いっぱいの仕事をする駒鳥のようにありたい」と言うのが、本来の命名理由である。
実は2代目のマークだったと言う事は知っていましたでしょうか???
初代マークはカタカナで「ロビン」と書いており、その周りを駒鳥をかたどった菱形図形で囲ったものでした。
また、この初代マークの頃は、現在のロビンエンジンのイメージカラーである黄色ではなく、小豆色でした。
subaru360が発表されるもっと前の昭和31年・1956年からで、ここでようやくお馴染みの「黄色いロビンエンジン」の活躍が始まったのでありました。
今から51年も前の事だから知らなくても当たり前か???
ラビットスクーター用エンジンを汎用化したのが始まり。空冷ガソリンエンジンを得意とし、国内の小型建設機械向けには圧倒的なシェアを持ち、100万台以上の生産台数を誇る。かつてはロビンエンジン搭載の農業用耕耘機の生産も行っていたが、子会社の富士ロビンに営業譲渡後は、次第に販売台数は減少している(その後マキタの子会社となり、2007年8月1日付をもって「富士ロビン」は「マキタ沼津」に社名変更となった)。
ロビン専門の修理屋さんもまだ、たくさんあります。
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