小さな船外機屋さんの地図

2020年6月9日火曜日

トーハツの歴史

投稿日: 2013年7月30日 作成者: product1125

トーハツ(株)が、その産声を上げたのは1922(大正11)年のこと。この年の4月、トーハツ(株)の前身に当たるタカタモーター研究所が、高田益三によって設立される。同研究所は発動機付き揚水ポンプを製造、東京の公共機関に納入し、高い評価を受けた。経営が軌道に乗ってき


1925年、タカタモーター企業社に改変され、同社は国産初の軌道用モーターカー「MF-70A」を製作。その後、陸軍の要請により無線通信用の発電機や、鉄道省からの発注で可搬発動発電機を製造している。

1932年には、個人会社から資本金50万円で、タカタモーター製作(株)に改組する。初代社長は高田ではなく研究所の設立に尽力した武井銀次であった。
1935年、国内では初めてとなる船外機の製造に成功する。「2F-50」というモデルで、2ストローク、2気筒、3馬力というスペックだった。小型艇の船べりに簡単に取り付けられる船外機で、当時は「操舟機」「舷外機」などという呼称も用いられた。今や世界で圧倒的なシェアを誇る日本製船
外機の誕生だった。
1937年、それまで品川にあった工場を、板橋区志村町(現・小豆沢3丁目)に移転。

1939年には東京発動機(株)へと改名する。それと同時に役員は創業者であり常務取締役となった高田を除いて退任した。

1940年、国家総動員法に基づき、軍の協力管理工場となり、唯一の小型ガソリンエンジンの軍需工場に指定された。
戦中の1943年、東京空襲が予想される中、長野県岡谷での新工場建設が決まる。

1944年、創業者の高田益三が初めて社長に就任する。
1945年8月の終戦とともに、軍需工場の指定は解除される。志村の東京工場は幸いにも戦禍を免れ、

終戦後の1945年暮れには再稼働の準備が始まり、翌年1月からは操業を再開した。再開後は軌道用モーターカーや、漁船用の発動機を製造。

1949年には国産初の可搬消防ポンプを開発する。消防の世界ではトーハツのポンプは圧倒的なシェアであり、船外機と同様、この頃に現在の礎が築かれた。
その後、トーハツは二輪用発動機にも目を向ける。当初は自転車に取り付けるタイプのエンジンを製造するが、1951年、「トーハツ・バンブル・ビー号」を発売する。
1953年には「バビー号」を発売。その後、トーハツは二輪と消防ポンプを軸に急速に発展した。1955年には二輪でシェアトップを誇るようになる。船外機は1935年の国産初以降はしばらくブランクがあったが、

1956年に1.5馬力の「OB型」を開発し、再び船外機の分野へ進出を果たす。
1960年代初頭にはランペットという一世を風靡する二輪車を発売した。60年代は経営悪化で困難な時代を迎えるが、そんな中でも船外機は圧倒的なシェアを誇った。
60年代初頭の生産実績は日本全体で1万2000台程度であったが、そのうちの1万台近くをトーハツが占めていたのだ。しかし二輪の業績悪化から1964年、会社更生法の適用を受ける。

日本初のアウトボードエンジンブランドヒストリートーハツ(株)の本社で保管中のオリジナルオートバイ「ランペット」。バイクでも一世を風靡した。

その後の再建の過程でも船外機は非常に順調で、

1970年にはロングセラーモデルとなる「B13A」(8馬力)を開発。このモデルはマイナーチェンジをしつつも15年間も販売が続いた優良機種だった。
1971年、更生法手続が完了する。また同年、船外機では「B10A2」「B30A」と相次ぎ新型機種を市場に投入する。これは外国製船外機の輸入が完全自由化になり、競争が激化した背景があった。
1972年、社名をトーハツ(株)に改める。この頃には船外機が同社の主力となる。
1974年には国内販売の2倍以上が輸出されるようになる。新機種の発表もアメリカやオーストラリアで先に行われるようになった。

1976年には「M35A」(35馬力)を国内発売。この船外機は国産500ccクラスの船外機の先鞭となる。

しかも1977年以降、熱海レースで連続制覇を果たし、高い評価を受けることになった。その後
は船外機と消防ポンプを二つの柱としてトーハツは発展を遂げることになる。

その後、1984年に新経営陣は、以前から所有していた不動産を利用した賃貸事業もスタートする。
1988年にはマーキュリーの親会社である米国のブランズウィック社との合弁により、トーハツマリーンを立ち上げる。そして
1990年には自社独自のフィッシングボートの開発にも乗り出す。

1998年、トーハツ初の4ストローク船外機を開発する。一方、2000年には、2ストロークの直噴化、
TLDIを開発する。経営方針に「社会貢献」を掲げる同社の環境保全への答えが4ストロークと直噴2ストロークとなった。
2002年、米国ダラスにアメリカの販売会社となるTAC(トーハツアメリカ)を設立、
2003年には駒ケ根に新工場を建設し、
現在に至る。

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